大切な家族が一人、手の届かないところへ逝ってしまいました。
名前を「こはる」と言います。
2000年の2月4日、立春の日に生まれたので
そう名づけました。
正式名は「Primavera of Villa Grazia JP」。
MOMOが産んでくれた、うちで生まれた初めての仔犬です。
パピヨンは蝶が羽を開いたようなおっきな耳が特徴ですが、
その中でも特に立派な耳を持つ、とても美人の子でした。
上下意識の強いしっかり者で、少しおませ。
後から生まれた他の子たち対してはきついところもありましたが、
面倒見がよくて、私にはよく服従していました。
うちの女の子たちの中で、MOMOは「ゴッドマザー」みたいなもんで、
常にど~~~~んっとしてますが、
こはるは「ナンバー2」として、みんなをよく仕切っていたと思います。
そして、犬なのに、私よりずっと色気がありました。
私にとってこはるは、とても頼りになる家族でした。
1年ほど前、こはるの自慢の耳の後ろに
親指の先ほどの腫瘍が見つかりました。
耳の中で炎症を起こして、腫れているのかとも思いましたが、
診断の結果「脂肪細胞腫」。
ガンよりもたちの悪い病気です。
悪質な細胞がじんわりと広がるので、完全に切除することが不可能。
そして、簡単に転移します。
腫瘍がどんどん大きくなって、最後には命を奪います。
獣医さんもお手上げ…そういう病気です。
それでも、少しでも命を延ばしてやりたい。
少しでも腫瘍による苦痛を感じさせないでいてやりたい。
そんな思いで、抗がん剤治療が始まりました。
実は私がさまざまな仕事やアルバイトを始めたのも
すべてはこの治療のためです。
命を救うことはできないけれど、私にできるすべてをしてやりたかったから。
しかし、抗がん剤治療にも限界があります。
投与できる抗がん剤の量は決まっているのです。
それ以上投与すれば、今度は薬でやられてしまいます。
副作用もひどい。
美しかった被毛は抜け落ち、体も痩せていきます。
腫瘍で参るのが先か、薬で参るのが先か。
獣医さんと相談しながら、ぎりぎりの治療が続きました。
見かけは相変わらず元気でしたが、腫瘍はどんどん大きくなり、
状況が加速度的に悪化しているのは、火を見るより明らかでした。
それでも無事に年を越え、私はかすかに「奇跡」を信じたくなっていました。
ところが。
3月のはじめ、病状が悪化しました。
下痢と嘔吐の連続。
慌てて病院に連れて行きましたが、獣医さんは哀しげに
「どうか、覚悟を…」
それだけでした。
ゴハンも食べられなくなって、動くこともできなくなって、
ただ死ぬのを待つだけの状態になったらそのときは。
私がその命を終わらせる決断をしなくてはならないのだろうか。
犬に「尊厳死」などありません。
ただ、食べられなくて、動けなくて、お腹がすいて、苦しくて、
その苦しみが続くのなら、私がラクにしてやるべきなのだろうか。
私には、その答えを出すことが、ついにできませんでした。
ちょうどその日、花☆ちゃんがうちに遊びにくることになっていました。
花☆ちゃんは、こはるが生まれたときからずっと
うちの子たちと大の仲良しです。
うちの子たちはみんな花☆ちゃんが大好き。
おそらく家族だと思っています。
花☆ちゃんにはもちろん、こはるの状態を話してありましたので
これがお別れになるだろう…そんな思いで訪ねてくれました。
ところが、不思議なことに、花☆ちゃんが来たとたんに
こはるが元気になったのです。
食べなかったゴハンを食べ、少しずつ動いて
私たちのそばでそっと寝そべっていました。
それは、花☆ちゃんが帰ったあともしばらく続きました。
ゴハンもよく食べたし、私の後について、うろうろと歩き回ったりしていました。
治らないことは分かっていました。
分かっていたけど、それでも私は嬉しかった。
まだまだ、大丈夫。
そう思っていました。
一週間後。
こはるが突然ひっくり返りました。
おそらく三半規管がやられたんでしょう。
バランスを失い、うまく歩けない。
そして、その状況の変化に驚き、理解できずに、
こはるは恐怖で震えていました。
私はそんな彼女を抱いて声をかけ続ける以外に何もできませんでした。
「だいじょぶ。ママがいるから。ずっといるから」
そして3日後。
こはるはついに、何も食べなくなりました。
耳の後ろにできた腫瘍がどんどん肥大化し、
喉のあたりまで広がっていました。
食事はおろか、呼吸もしにくい状態だったと思います。
ぜぇぜぇと呼吸音をさせながら、それでもまだ
私の後を追い、ひざに乗ろうとし、
抱いてやると体を擦り付けて懸命に甘えて、
そして、全身で苦しいと言っていました。
そんなこはるを見ながら、私は毎日仕事に出るのがとてもつらかった。
帰宅するまで気が気じゃない。
そして、帰ってこはるを抱くたびに、
ああ、よかった。今日も生きていてくれた。
そんな思いの繰り返しでした。
3月15日。
ゴハンを食べなくなって丸二日。
お腹すいたでしょ? 何も喉を通らない?
でも、何かお腹に入れないと、元気になれないよ。
だから、私は藁にもすがる思いで、彼女の大好きな
鶏ガラのスープをこさえました。
口元に持っていってやりましたが、やはり口をつけませんでした。
だめか…
その日はどうしても夕方から出かけなければならない用事がありました。
こんな状態で出かけるのはとてもつらかったけど、
とにかく早く帰ってこよう。
今なら少し落ち着いているから、大丈夫かもしれない。
後ろ髪を引かれる思いで、私は出かけました。
出かけるとき、こはるはいつものように犬舎の柵の間から鼻を出して
私を見送ってくれました。
行って来るね。すぐに帰るからね。
そして。
それが、こはるとのお別れになりました。
用事を早く切り上げて、飛んで帰り、
こはるの犬舎に駆け寄ったとき、
そこには横たわり、息絶えたこはるがいました。
気が狂ったように彼女の名前を叫びましたが、
彼女は何も応えてはくれませんでした。
抱き上げたとき、まだ温かかった…
出かけてごめん。
一人で逝かせてごめん。
ひどいママだったね。
ごめんね。ごめんね。
もう一度だけ、キスしてよ。
もう一度だけでいいから。
お願い。こはる。お願いだから…
そういえば、こはるが生まれた日も、
私は珍しく残業で、帰りが遅くなりました。
帰ったら、MOMOのお腹で元気におっぱいを吸っていました。
生まれた瞬間も、逝く瞬間も私は一緒にいてやれなかったんだなぁ。
自責の念に押しつぶされそうになりながら、
ただただ、泣くことしかできない自分が、
どれだけ憎かったことでしょうか。
ふと見ると。
スープを入れておいたお皿が空になっていました。
まるで、洗ったようにぴかぴかにきれいになっていました。
そっか。飲んで逝ったんだね。
大好物だったものね。
美味しかった? お腹いっぱいになった?
最後に大好きなスープを飲ませてあげられたこと。
それだけが私の救いです。
奇跡は。
起こりませんでした。
立春に生まれ、私にたくさんの幸せをくれたこはるは、
5年の元気な日々と1年の闘病生活を経て、
桜を待たずに逝ってしまいました。
そして私は。
こはるに何をあげたのだろう。
うちに生まれてしあわせだっただろうか。
そう自分に問いかけながら、その日私は
こはるの亡骸をだきしめたまま
泣きつかれて眠りました。