なのかのかけら
2009-12-09T13:00:11+09:00
piyonpamama
しがないコピーライター 文月菜野香の書きっぱなし
Excite Blog
新しい道へのトビラ
http://piyonpa.exblog.jp/13187791/
2009-12-09T13:00:15+09:00
2009-12-09T13:00:11+09:00
2009-12-09T13:00:11+09:00
piyonpamama
菜野香あれこれ
その3年の間に、実にまあ色々なことがありまして。
周りの環境も、私の生活も、そして私自身も・・・
何もかもが随分変わってしまったような気がします。
ただ、変わっていないこともあります。
ひとつは、今でも大切な家族であるパピヨン達に
囲まれて暮らしていること。
こはるを6歳という若さで亡くしてから
みんなこはるの分まで頑張ってくれているみたい。
下は6歳のきららとコナンから、上は13歳のGIGIまで。
8匹全員が今も元気で・・・いあ、それぞれに何かしら
問題はあるんだけど、それでもとりあえずは普通に・・・生きています。
そしてもうひとつ。変わらないこと。
今でもしつこく。囲碁を続けています。
途中で何度も何度も挫折しそうにはなったし、
囲碁をぱったりお休みしていた時期もありましたが
それでもやっぱり囲碁は楽しくて。
この3年間で、ちょびっと上達したかな?
しかし・・・いまだにアタリにつっこむ癖は
あの頃と全く変わっておりません。どよーん。
まだまだ浮き沈みはあるものの。
最近ようやく落ち着いてきまして。
ずっと出ていなかった囲碁の大会にも
少しずつ出られるようになりました。
なので。
またこのブログを再開しようかとも思ったのですが。
3年も放置してたしなぁ。
それに、この3年で色々変わったし。
私自身の文章のトーンも以前とは違うかもしれないし。
そんなことをあれこれ考えて。
このブログの続きは別のページで綴ることにしました。
「続◆なのかのかけら」という、とっても安易なタイトルで。
以前からこの「なのかのかけら」を読んでくださっていて
今日、たまたま様子を見に来てくださった皆様。
ご心配をおかけして申し訳ありませんでした。
そして、懲りずに様子を見に来てくださってありがとうございます。
今日はじめて、何かの間違いで「なのかのかけら」に
飛んできてしまった皆様。
いきなりこんな内容で申し訳ありません。
でも、このご縁に感謝したいと思います。
「続◆なのかのかけら」でも、このブログとほぼ同じように
私の日々のあれこれや思い出深いお話、パピヨン達のこと。
そしてそして、囲碁を通して得られた様々なモノやコトを
少しずつ、マイペースで書いていくつもりでおります。
相変わらずの長文が多くなるとは思いますが。苦笑
よろしければ新しいページにもたまに遊びに来てくださると幸いです。
どうぞ、これからもよろしくお願い致します。
ありがとうございました。
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ほっこりクリスマス
http://piyonpa.exblog.jp/5203719/
2006-12-25T23:50:00+09:00
2006-12-26T17:56:39+09:00
2006-12-26T17:46:56+09:00
piyonpamama
よろず体験談
仕事でもプライベートでも、精神的にも身体的にも、
ほんとによくもまぁ、これだけのことが次々と。
というくらい色んなことがありまして、しばらくナリを潜めておりました。
でも。
その間も通っていました、せっせせっせと。
もちろん、例のコンビニです。
アルバイトの学生たちは少しずつ変わっていますが
それでもお店全体の持つあったかな雰囲気は変わりません。
そこで買い物をすると、素敵な笑顔がもれなくついてきます。
下手なヒーリンググッズよりよほど癒されます。
クリスマスは特に好きではありませんが、ケーキは大好きです。
ケーキは大好きなのですが太るのは大嫌いなので、
普段は無理して我慢しています。
クリスマスといっても普段通り仕事に出かけ、
淡々と一日を過ごし、何事もなく帰路につき・・・
寄ってしまうんですよねぇ、そのお店に。
で。
あ、そうかあ。クリスマスだよねぇ。
今日くらいケーキ食べてもいいよねぇ。
ああ、ケーキ屋通り過ぎちゃったなぁ。
コンビニのケーキってどうよ・・・ま、いっか。
イチゴのショートケーキにしようとは思いました。
普通の三角のが290円、イチゴ1個つき。
少し大きめの丸いのが500円、イチゴ3個つき。
ん~。三角でいっか。
「詰碁の友」ポテトチップスやアタリメ、カマンベールチーズ、
それにチロルチョコ季節限定版等々を買い込み、
レジでチャーシュー饅も発注し、かなり満足してました。
ところが。
ケーキがレジを通らない。
レジの女の子が代わりの商品を探しに行ってくれたのですが、
私は知ってました。それが最後の一個だということを。
仕方ないなあ。ケーキはあきらめるかぁ。
500円も出して食べたいとも思わないしなぁ。
でも、どうして通らないんだろう?
消費期限は今日の夜中までだったはずだしなぁ。
顔見知りの女の子達が焦ってるのが分かりました。
あんまり気の毒なので
「もういいよ。でも、どうして通らないんだろね」
これが失敗。女の子は余計困ってしまいました。
悪いことしちゃった。
そこで、店長登場です。
別に私は苦情をいったつもりもないので、非常に恐縮する次第。
店長は店長で、これまた恐縮。
へんな図だったと思います。
よくよく訊いてみるとこういうことです。
一つの商品は、例えばこの場合はケーキですが、
製造行程が結構長くて、約6時間以上かかるんだそうです。
そうすると、同じグループ(ひとまとまり)の商品でも
最初に出来上がったものと、最後に出来上がったものとでは
6時間の差が生じるんですね。ものすごく大雑把な話ですけど。
で、消費期限というのはおそらく最後に出来た商品を基準にしてるのでしょう。
ところが最初に出来たものはすでに6時間経っている。
なので、消費期限は今日の深夜までになっていても、
実はその6~12時間前(商品によって)には撤去するんだそうです。
当然レジも通らなくなる。
今回は、撤去ミスだったことになるんだそうです。
なるほどねぇ。
しかしもったいない話よねぇ。
これ、まだまだ食べられそうじゃんねぇ・・・
じゃあ、ケーキだけじゃなくて、お弁当もお惣菜もみんなそうなの?
ええ。そうなんですよ。
全部お店のロスになっちゃうの?
はい、はっきり言うと私のロスということになります。
大変じゃない!
はい。だから、たくさん仕入れないようにとも思いますが棚がガラガラなのもねぇ。
生ものだから仕入れ計画大変よねぇ。
クリスマスケーキがいつの間にかビジネスの話になったりして。
結局、この店長が出した結論。
それは、290円で500円のケーキを持って帰ってください。
ということでした。
お求めの商品と違うのでご不満でしょうが、本当に申し訳ないと。
別に私はもうよかったんだけど、断るのも角がたつし、
「いや~、私そんなつもりとちゃうかってんよ~」とか言うのも
いかにも大阪のおばちゃんだし。
「いいの? ありがとう」と素直にいただきました。
いつもおそらくお仕事の帰りでしょう?
たくさん買っていただいて、いつも必ず「ありがとう」と微笑んでいただいて、
ウチのスタッフもみんな楽しみにお待ちしてるんですよ。
これに懲りずにまた、きてくださいね。
うまいっ!
リップサービスと分かってても、嬉しいじゃないですか。
そして私はまた、せっせとあのお店に行くのでしょうね。
特に何があったわけでもありません。
でも、コンビニであったかい気持ちになったり、
久しぶりにケーキが食べられたり、
お友達から嬉しいニュースをきいたり、
大好きな人から珍しくお電話をいただいたり。
いつもの日常にほんのちいさなスパイスが利いたような、
幸せのかけらがチラチラと降ってきたような、
そんなほっこりとあったかなクリスマスでありました。
来年もいい年でありますように。
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潔さのことなど
http://piyonpa.exblog.jp/3865381/
2006-05-06T03:22:00+09:00
2006-05-06T21:43:25+09:00
2006-05-04T08:18:50+09:00
piyonpamama
菜野香あれこれ
そんな生き方をしたい。と思っていました。
今日は今日に出来ることをやり遂げる。
やりたいことは全部やる。
言いたいことも残さない。
その日一日を全力で生きるのだ。
だから、寝る時間ももったいない。
そうやって、普通の人よりほんの少しだけ、
精神と肉体と、そして命を削ってきたのかもしれません。
いつも息を切らしながら走ってるんだね。
よく、そんなことを言われてきました。
別に、生き急いでるわけでも、
死に急いでいるつもりもありません。
ただ、潔く生きて、潔く死にたいと思っていただけです。
子供の頃から、大切な人たちの命があまりにあっけなく
逝ってしまうのをたくさん見てきたからかもしれません。
或いは単に、若かったからかもしれません。
死よ。来るならば来い。
いつでも用意は出来ている。
まあ、大げさに言うとそんな感じですか。
掃除が苦手なので家はいつもぐちゃぐちゃですが、
不思議なことに、勤めていた頃の私のデスクは
いつもすっきりと整理されていました。
何がどこにあるか分からない。
なんてことは全くなかったと思います。
デスクの中は頭の中とおんなじだ。と豪語していました。
どの仕事がどのように進み、終わったのか。
私がいついなくなっても、誰も困らないように、
誰が見てもすぐに分かるようにすることに努めていました。
だから私は、いつでもいなくなることができる。
自分の存在そのものに、たいして値打ちを感じていなかったように思います。
別に自分が嫌いなのではないし、自分を粗末にしているつもりもありません。
ただ、自分などはほんの小さな存在だから、
自分がいなくなっても何も変わらないし、
世の中に、自分にしか出来ないことなどひとつもない。
そう思っていますから。
とは言うものの。
やはりこんなのは、何か間違っているような気がします。
単に綺麗な言葉を並べただけで、それが本心なのかと問われれば
迷わずにそうだと応えることが出来るだろうか。
今日の延長線上に明日が来ない。ということを
リアリティをもって受け入れることが、今の私に出来るだろうか。
自分の存在価値がどうだとか、必要とされているのかどうなのかとか、
そんなことを考える前に、もっと自分の中をちゃんと見つめないと。
自分は何を感じ、何に心を動かされるのか。
何がしたいのか。どうしたいのか。
私は今、どんな夢を見ているのだろうか…
その日をどんなに精一杯生きていても、
出来ることを全部やったとしても、
私にはまだまだやりたいことがたくさんある。
食べたいものも、行きたい場所も、読みたい本も、
会いたい人も、知りたいことも。
いっぱい。いっぱい。いっぱい。
いい歳をしてこんなデタラメな生き方をしている私を、叱ってくれる人がいました。
でもそれが彼女だからと、黙って見守ってくれている人がいました。
私が歩くこの道の先の明るい未来を信じて、励ましてくれる人がいました。
そして、そんな貴女が好きだからずっと応援したいのだと言って、
涙を流してくれる人がいました。
彼女をもう、二度と泣かせたくはない。
なんだ。
ちっとも潔くなんかないじゃないか。
まだまだ執着がいっぱいあるじゃないか。
囲碁だってもっともっと打ちたいし、もっともっと強くなりたい。
私の目を見つめてチロチロと尻尾を振ってくれるたくさんの小さな家族達のことも
ずっとずっと大切にしていたい。
死ぬまでに一冊は本も書いてみたいし、
いつか、ブリティッシュグリーンのジャガーにも乗れるようになりたい。
そして、大好きな人が受け入れてくれたささやかな約束だって果たしたい。
本当の潔さって、自分がちっとも潔くないということを、
何の覚悟も出来ていないということを、
ちゃんと認めることなのかもしれません。
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コミュニケーションのことなど
http://piyonpa.exblog.jp/3773618/
2006-04-23T22:11:00+09:00
2006-04-23T22:28:49+09:00
2006-04-11T02:43:14+09:00
piyonpamama
菜野香あれこれ
コピーライターの仕事で一番大切なのは
言葉を綴ることではありません。
思いを通わせることです。
どんな仕事でもそうでしょうが、
すなわちコミュニケーションですね。
ごく当然のことながら。
と、私は思っています。
後進の方々から時々訊かれることがあります。
「コピーを書くってどういうことですか?」
「何を考えて、どんなことに注意して、コピーを書きますか?」
「どうすればいいコピーが書けますか?」
エトセトラ。
難しいことは分からないのですが、
私の答えはいつも決まっています。
「コピーはラブレターみたいなものだと思います」
かなりキザで嫌味ですわね。
ただ。
まだ会ったこともない、そしておそらく一生出会うことのない
不特定多数の人たちに、自分の思いを伝えること。
いいえ、そうではありませんね。
クライアントになり代わって、その思いを伝えること。
会ったことはないけれど、その年齢や性別や、
その他の様々なファクターから想像しうる限りの「相手像」によって、
どんな言葉が一番ハートに響くのかを考えること。
それが私の仕事だと。
そう思っています。
私の師匠がよく言っていたことがあります。
「もてないコピーライターは信用しない」
たった一人の人間を口説くこともできないで、
何十万、何百万という人間を口説くことなど出来ないでしょう。
というような、意味でしょうか。
ああ、そうかぁ。
だから私はいつまでたっても売れないっ子なのかぁ。
などと思ってみたり。
でも師匠の言葉には、どうやら「男のコピーライターの場合」という
注釈がついていたようでしたので、あまり気にしないことにしています。
ただ、実際どうなんだろう。
目の前にいないたくさんの人達に思いを伝えるよりも、
ヒザをつき合わせて向き合っているたった一人の人と心を通わせる方が、
ずっとずっと難しいこと、たくさんあるような気もします。
伝えたい思いはたくさんあって、心の中にその言葉もあふれているのだけれど、
それを表現することがなかなか簡単なことではない。
こわい。のかもしれません。
反応がダイレクトだから。
反応がない。というのも、ある意味ダイレクトな反応ですからね。
拒否されたり、誤解されたり、軽んじられたり。
そういうネガティブファクターを考えて、
あらかじめ自分の中に予防線を張ってしまう。
で、その結果。
「表現しない」という選択肢に至るわけです。
でも。
伝えたいのに、ついに伝えることができなかった言葉が
私にはたくさんあります。
大好きだった母や、とても大切だった仕事仲間や、
消息が分からなくなってしまった友人や、
そして、突然にこの世を去ってしまった恋人や…
いつでも言えると思っていたのかもしれないし、
勇気がなかったのかもしれません。
不安だったり、照れだったり、妙なプライドみたいなものだったり。
そんないろんな気持ちが、「伝える」ことを一瞬躊躇させてしまう。
「ありがとう」「ごめんなさい」「会いたい」
そんなとってもシンプルな言葉なのに…
そして、たくさんの言葉が私の中に置き去りにされました。
ああ。ちゃんと、言っておくんだった…
そんなことを何度も何度も思ったものです。
なので最近は、できるだけちゃんと表現しようと
日々努力をしています。
いつなんどき、どんな状況になっても決して後悔しないように。
かなりの勇気とエネルギーが必要です。
あまりにストレートに言い過ぎると、
かえって値打ちもなくなったりしますし…
よく言うじゃないですか。
「言葉にした途端にウソになる」みたいな。
でもね。それは違うように思ったりもします。
たった一言で気持ちのすべてを表現しようとするから
ウソくさくなるんじゃなかろうか。
言葉で表現できるのは、ほんの小さなかけらでしかないから
いろんな言葉で、いろんなアングルで、
いろんなトーンで、そしていろんなタイミングで、
気持ちのかけらをたくさんたくさん表現すればいい。
それを集めてみたら、きっと全体像がほんのりと見えてくる。
そんな感じがするんですね。
まあ、これはコピーライターの発想としては失格かも知れませんが。
それに、相手の気持ちだとか状況にもよるし。
だから、難しいんですね。
伝えられなかった言葉がたくさんあるので、
逆に、伝えたいけど伝えられない人の気持ちも
少しだけ分かるようになりました。
分からなくても、分かろうとするようになりました。
人が人を完璧に理解するのは不可能。だと私は思っています。
でも、限りなく理解に近づこうとする「姿勢」を、
私は「理解」と呼んでいます。
非常に抽象的なお話になってしまいました。
自分でも何が言いたいのか分からないので、
結論はありません。
こんなんだから、いつまでたっても
売れないっ子なんだよ…
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気持ちのことなど
http://piyonpa.exblog.jp/3767655/
2006-04-09T22:13:00+09:00
2006-04-09T23:39:02+09:00
2006-04-09T22:13:59+09:00
piyonpamama
菜野香あれこれ
人がいます。時間があります。
そして、そしてもちろん気持ちが。
いつもいつも心の中から取り出しては慈しみ、
大切に大切にするうちに、それはどんどん育っていきます。
やがて、心の中に収まりきれなくなってあふれ出してしまうのだけれど、
その時にはもう、自分ではどうすることもできないんですね。
心のまんま、気持ちのまんまにすべてが流れればいいけれど、
そうもいかないことが多いから
なんとか、その気持ちをもとの器に収めようなんてしてみます。
でも。むり。
一度抜いてしまったシャンパンの栓みたいに、
膨らんでしまったものは、元には戻らないの。
本当はそんなこととっくに分かっているのに、
それでもなんとか収めようとして、
削ってみたり、捻ってみたり、抑えてみたり。
もう、力ずくの悪戦苦闘。
そして、そのときに心の流した汗が、
きっと涙になるんですね。
いよいよダメだと分かってくると、
今度はそれをうっちゃってしまおうとします。
忘れ去ってしまおうとしたり、
そもそもがそんなに大切なものではなかったのだと
自分に言い聞かせてみたり、
あるいは、別の何かで埋め合わせてみようとしたり。
でもやっぱり。むり。
だって。
一度認識されてしまった記憶は完全にはデリートできないし、
大切だからあふれてしまったのだし、
別の何かはどこまで行っても別の何かだから、
赤い積木の上に青い積木を重ねたって、
土台にはやっぱり赤い積木があるんだもの。
で。結局。
遠回りして遠回りして、やっとこさ、気づくんです。
どうしようもないんだな。
そのまま抱えていくしかないんだな。
ってな感じで、宙に浮いてしまったような
抱えきれないものがたくさんあります。
しんどいなぁと思いつつ、
もしかしたら何も抱えるものがないよりは
ずっとずっと幸せなのかもしれません。
それは仕事だったり、家族だったり、趣味だったり。
あるいは恋だったりもするのだろうけど。
そうやって。
収まりきれなくなったたくさんの気持ちを両手に抱えたまんま、
前も見えずによたよたと階段を昇って行くみたいに、
何となくたよりない毎日が過ぎていっているような、
そんな感じがしています。
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ありがとう、こはる
http://piyonpa.exblog.jp/3669752/
2006-03-18T02:18:00+09:00
2006-03-18T09:05:27+09:00
2006-03-17T20:50:20+09:00
piyonpamama
パピヨンだらけ
今はペット霊園や、ペットの葬儀屋さんなどがあって、
とても手厚く葬ってくれます。
動かなくなってしまったこはるを抱いたまま、
泣き濡れてぐじゃぐじゃの状態で、
「ペットセレモニー○○○○」というところへ電話を入れました。
朝の9時半頃だったでしょうか。
少しでも長くこはると一緒にいたかったけど、
こはるの体が傷まないうちに、ちゃんと天国へ送ってあげないと。
そう思いましたから。
葬儀屋さんの男性はとても親切にしてくださいました。
飼い主の気持ちになって、しかも冷静に、
さまざまなアドバイスと励ましの言葉をくれました。
「13時にお迎えにあがります」
私は、こはるの体を濡れたタオルできれいに拭いてやりました。
そしてブラシをかけながら、ドライヤーで乾かしてやりました。
爪と足の裏の毛も切ってやりました。
私は犬の手入れがとても下手くそです。
だから、こはるはいつも私が手入れするときに、
嫌がったりふざけたりして、私を困らせたものです。
それが今は、ちっとも動かない。
いつもみたいに暴れてくれてもいいのに。
すっきりときれいになったこはるをバスタオルにくるんで、
お気に入りだったベットに寝かせました。
それから少しだけ自分の用事を済ませ、
そして自分の準備。
ちゃんと、黒のスーツを着ました。
お化粧もきっちりしました。
こはるの旅立ちを見送るのに、みすぼらしいママだとイヤだもんね。
13時前。
私はバスタオルにくるんだこはるを抱いて、
家の中をゆっくりと歩きました。
彼女が生まれてから6年間を過ごした我が家。
ベランダのトイレも、シャンプーをしたお風呂場も
全部見せて歩きました。
それから最後に、うちの子たち全員と、
一人一人お別れをさせてやりました。
家を出るとき、きららという名の一番若い子が
気が狂ったように啼きました。
この子は、こはるの子のあげはの子。
つまり、こはるの孫になります。
普通、子育ては親がしますが、きららは仔犬の頃から
こはるによくかわいがってもらっていました。
ちっちゃなきららが他の子たちからいじめられそうになると、
こはるはいつもきららを自分の懐に抱いて、守っていました。
そして、あげはのおっぱいでべとべとになったきららの顔を
いつもきれいに舐めてやっていました。
だからきっと、きららはこはるが大好きだったと思います。
その日は雨でした。
私は雨が大嫌いです。
でも、不思議とその日は気になりませんでした。
私と一緒に、空が泣いてくれてるんだなぁ。
そんなことを思いながら、迎えに来てくれた車の中で
あふれる涙をぬぐうことさえしませんでした。
まず最初に「お別れの時間」というのがあります。
きれいに飾られた祭壇の上にこはるを横たえ、
手書きの位牌を自分で作り、お線香をあげて、
文字通り最後のお別れをします。
自分の中にキリをつけるための時間なんですね。
でも。
横たわったこはるを見ながら、
「かわいそうに…ごめんね」としか言うことができない。
そんな私に、葬儀屋さんのスタッフがこう言いました。
どうか、かわいそうだと思わないでください。
どうか、謝らないでください。
この子はお宅に生まれて、あなたと暮らして、
とても幸せだったはずです。
いつも、一生懸命に貴女をみつめ、
一生懸命に貴女を愛したはずです。
そして最後まで、そして今もこの子を愛している貴女に
とても感謝していると思います。
貴女も、この子からたくさんの幸せと思い出をもらったでしょう?
だからどうか。
ありがとう、と。そう言って送ってあげてください。
こはるちゃんは、ママの涙なんかみたくないのだから。
ああ。
そうだった。
私が泣くと、こはるはいつも哀しそうな顔をして、
私の涙を一生懸命に舐めてくれた。
そして、私と一緒に落ち込んで、ゴハンが食べられなくなってしまうような
そんな子だった。
2月の下旬。私は過労とストレスと、おそらく飲みすぎで
血を吐いて倒れました。
こはるの容態が急変したのはその直後のことです。
「ママ、もういいよ。もう頑張らなくていいから」
そう言ってくれたのかもしれません。
なんて。
なんて優しい子。
そう。こはるはたくさんの幸せをくれました。
私の哀しみや苦しみをいつも受け止めてくれました。
それはもちろん、他の子たちも同じです。
でも、うちで生まれた初めての子として、
私にたくさんの夢をくれました。
だから。
ありがとう。
それこそがきっと、一番ふさわしい言葉。
ようやく自分の気持ちにケリをつけると、いよいよ斎場へ。
花を買って、こはるの周りをきれいに、華やかに飾ってやりました。
最後にもう一度、こはるの瞳を見つめ、
ありがとう。そう言いました。
骨になったこはるは、とてもちっちゃかったです。
でも、普通は高温のために足の骨が折れてしまったりするらしいのですが、
こはるの骨はすべてがきれいなままでした。
しっかりとした、健康な体に育ててあげていたのですね。
スタッフの方がそう言って声をかけてくださいました。
すべての骨を自分で拾い、最後に自慢の耳からとっておいた遺髪を
骨壷の中に収めると、お別れのセレモニーは終わりました。
3時間足らずの儀式の中で、時間の経過とともに
私は少しずつ自分を取り戻し、気持ちが随分落ち着きました。
そういうことのために、儀式はあるのですね。
今、こはるは桜色の骨壷袋の中で眠っています。
病気の間は他の子たちとは別の部屋にいましたが、
今はみんなと同じ部屋で、一段高いところから
みんなと、そして私を見守ってくれています。
まだ、哀しさも寂しさも、消えてはいないけど、
こはるの前で泣くことは、もう二度としないと思います。
イタリア語では「さようなら」のことを「アリベデルチ」と言います。
直訳すると「再会の日まで」ということになるでしょうか。
こはる。
愛しているよ。
今までも、そして、これからも。
生まれ変わったら、また一緒に暮らそう。
また、家族になろう。
たくさんの幸せをありがとう。
そして。
さようなら、じゃないね。
またいつか。
めぐり逢う時まで…
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最後のスープ
http://piyonpa.exblog.jp/3640246/
2006-03-17T20:25:00+09:00
2006-04-10T09:01:01+09:00
2006-03-11T06:15:43+09:00
piyonpamama
パピヨンだらけ
名前を「こはる」と言います。
2000年の2月4日、立春の日に生まれたので
そう名づけました。
正式名は「Primavera of Villa Grazia JP」。
MOMOが産んでくれた、うちで生まれた初めての仔犬です。
パピヨンは蝶が羽を開いたようなおっきな耳が特徴ですが、
その中でも特に立派な耳を持つ、とても美人の子でした。
上下意識の強いしっかり者で、少しおませ。
後から生まれた他の子たち対してはきついところもありましたが、
面倒見がよくて、私にはよく服従していました。
うちの女の子たちの中で、MOMOは「ゴッドマザー」みたいなもんで、
常にど~~~~んっとしてますが、
こはるは「ナンバー2」として、みんなをよく仕切っていたと思います。
そして、犬なのに、私よりずっと色気がありました。
私にとってこはるは、とても頼りになる家族でした。
1年ほど前、こはるの自慢の耳の後ろに
親指の先ほどの腫瘍が見つかりました。
耳の中で炎症を起こして、腫れているのかとも思いましたが、
診断の結果「脂肪細胞腫」。
ガンよりもたちの悪い病気です。
悪質な細胞がじんわりと広がるので、完全に切除することが不可能。
そして、簡単に転移します。
腫瘍がどんどん大きくなって、最後には命を奪います。
獣医さんもお手上げ…そういう病気です。
それでも、少しでも命を延ばしてやりたい。
少しでも腫瘍による苦痛を感じさせないでいてやりたい。
そんな思いで、抗がん剤治療が始まりました。
実は私がさまざまな仕事やアルバイトを始めたのも
すべてはこの治療のためです。
命を救うことはできないけれど、私にできるすべてをしてやりたかったから。
しかし、抗がん剤治療にも限界があります。
投与できる抗がん剤の量は決まっているのです。
それ以上投与すれば、今度は薬でやられてしまいます。
副作用もひどい。
美しかった被毛は抜け落ち、体も痩せていきます。
腫瘍で参るのが先か、薬で参るのが先か。
獣医さんと相談しながら、ぎりぎりの治療が続きました。
見かけは相変わらず元気でしたが、腫瘍はどんどん大きくなり、
状況が加速度的に悪化しているのは、火を見るより明らかでした。
それでも無事に年を越え、私はかすかに「奇跡」を信じたくなっていました。
ところが。
3月のはじめ、病状が悪化しました。
下痢と嘔吐の連続。
慌てて病院に連れて行きましたが、獣医さんは哀しげに
「どうか、覚悟を…」
それだけでした。
ゴハンも食べられなくなって、動くこともできなくなって、
ただ死ぬのを待つだけの状態になったらそのときは。
私がその命を終わらせる決断をしなくてはならないのだろうか。
犬に「尊厳死」などありません。
ただ、食べられなくて、動けなくて、お腹がすいて、苦しくて、
その苦しみが続くのなら、私がラクにしてやるべきなのだろうか。
私には、その答えを出すことが、ついにできませんでした。
ちょうどその日、花☆ちゃんがうちに遊びにくることになっていました。
花☆ちゃんは、こはるが生まれたときからずっと
うちの子たちと大の仲良しです。
うちの子たちはみんな花☆ちゃんが大好き。
おそらく家族だと思っています。
花☆ちゃんにはもちろん、こはるの状態を話してありましたので
これがお別れになるだろう…そんな思いで訪ねてくれました。
ところが、不思議なことに、花☆ちゃんが来たとたんに
こはるが元気になったのです。
食べなかったゴハンを食べ、少しずつ動いて
私たちのそばでそっと寝そべっていました。
それは、花☆ちゃんが帰ったあともしばらく続きました。
ゴハンもよく食べたし、私の後について、うろうろと歩き回ったりしていました。
治らないことは分かっていました。
分かっていたけど、それでも私は嬉しかった。
まだまだ、大丈夫。
そう思っていました。
一週間後。
こはるが突然ひっくり返りました。
おそらく三半規管がやられたんでしょう。
バランスを失い、うまく歩けない。
そして、その状況の変化に驚き、理解できずに、
こはるは恐怖で震えていました。
私はそんな彼女を抱いて声をかけ続ける以外に何もできませんでした。
「だいじょぶ。ママがいるから。ずっといるから」
そして3日後。
こはるはついに、何も食べなくなりました。
耳の後ろにできた腫瘍がどんどん肥大化し、
喉のあたりまで広がっていました。
食事はおろか、呼吸もしにくい状態だったと思います。
ぜぇぜぇと呼吸音をさせながら、それでもまだ
私の後を追い、ひざに乗ろうとし、
抱いてやると体を擦り付けて懸命に甘えて、
そして、全身で苦しいと言っていました。
そんなこはるを見ながら、私は毎日仕事に出るのがとてもつらかった。
帰宅するまで気が気じゃない。
そして、帰ってこはるを抱くたびに、
ああ、よかった。今日も生きていてくれた。
そんな思いの繰り返しでした。
3月15日。
ゴハンを食べなくなって丸二日。
お腹すいたでしょ? 何も喉を通らない?
でも、何かお腹に入れないと、元気になれないよ。
だから、私は藁にもすがる思いで、彼女の大好きな
鶏ガラのスープをこさえました。
口元に持っていってやりましたが、やはり口をつけませんでした。
だめか…
その日はどうしても夕方から出かけなければならない用事がありました。
こんな状態で出かけるのはとてもつらかったけど、
とにかく早く帰ってこよう。
今なら少し落ち着いているから、大丈夫かもしれない。
後ろ髪を引かれる思いで、私は出かけました。
出かけるとき、こはるはいつものように犬舎の柵の間から鼻を出して
私を見送ってくれました。
行って来るね。すぐに帰るからね。
そして。
それが、こはるとのお別れになりました。
用事を早く切り上げて、飛んで帰り、
こはるの犬舎に駆け寄ったとき、
そこには横たわり、息絶えたこはるがいました。
気が狂ったように彼女の名前を叫びましたが、
彼女は何も応えてはくれませんでした。
抱き上げたとき、まだ温かかった…
出かけてごめん。
一人で逝かせてごめん。
ひどいママだったね。
ごめんね。ごめんね。
もう一度だけ、キスしてよ。
もう一度だけでいいから。
お願い。こはる。お願いだから…
そういえば、こはるが生まれた日も、
私は珍しく残業で、帰りが遅くなりました。
帰ったら、MOMOのお腹で元気におっぱいを吸っていました。
生まれた瞬間も、逝く瞬間も私は一緒にいてやれなかったんだなぁ。
自責の念に押しつぶされそうになりながら、
ただただ、泣くことしかできない自分が、
どれだけ憎かったことでしょうか。
ふと見ると。
スープを入れておいたお皿が空になっていました。
まるで、洗ったようにぴかぴかにきれいになっていました。
そっか。飲んで逝ったんだね。
大好物だったものね。
美味しかった? お腹いっぱいになった?
最後に大好きなスープを飲ませてあげられたこと。
それだけが私の救いです。
奇跡は。
起こりませんでした。
立春に生まれ、私にたくさんの幸せをくれたこはるは、
5年の元気な日々と1年の闘病生活を経て、
桜を待たずに逝ってしまいました。
そして私は。
こはるに何をあげたのだろう。
うちに生まれてしあわせだっただろうか。
そう自分に問いかけながら、その日私は
こはるの亡骸をだきしめたまま
泣きつかれて眠りました。
]]>
だからやめられない!
http://piyonpa.exblog.jp/3216004/
2005-12-13T01:22:00+09:00
2005-12-13T10:06:00+09:00
2005-12-12T19:58:47+09:00
piyonpamama
囲碁サイコー
すっかりご報告のタイミングを逃してしまいました。
実は。
初めて、優勝しました。
11月の第二土曜日。古友会。
その日は秋季碁会でした。大会です。
私は7級で、級位者のクラスで参加させていただきました。
年に2回の大会なので、知らない人もたくさん来られますが、
やはり「古友会」の大会なので、前日もあんまり緊張しませんでした。
それよりも楽しみの方が大きかったです。
というのも、是非打ちたい人がいましたから。
4月にあった春季碁会。
私は初めて参加させていただきました。
そして、ビギナーズラックで準優勝しました。
その時は12級だったのですが、
決勝戦で打っていただいたのが2級だったか3級だったかの
S田さんという女性の方です。
9子置かせていただいたけど、まったく歯が立ちませんでした。
その後も古友会でいつもお会いしてましたが、
打つ機会はありませんでした。
その方と打つために、出来ることなら決勝戦までは行きたいなぁ。
そんなことを考えながら、前日は詰碁の本も開くことなく、
ぐっすりと休みました。
しかし。
当日行ってみると、その方はお休み。
がぁ〜〜〜〜〜ん。
ま、いいや。
とりあえず、初戦突破よ。
そうでした。決勝戦どころの騒ぎではありません。
何と言っても私の課題は「初戦突破」でありました。
そのためには、ちゃんと落ち着いて、冷静に、
自分の持っているなけなしの力を出さなくてはなりません。
そう思うとちょっと緊張。
みゆき先生に励まされて、いよいよ一局目。
この大会はハンデ戦ですが、相手の方も7級でしたので互い戦です。
握って私の白番。
とにかくヤキモチを妬かないように。
地にこだわりすぎないように。
落ち着いて、盤面全体を見て。
自分の分かる範囲で手厚くうってみよう。
そんなことを考えながら臨みました。
もちろん、みゆき先生の扇子を片手に。
もう、すっかり棋譜は忘れてしまいましたが、
ずっと、白が少しだけ良かったように思います。
良いような気はしていたのですが、
私は形勢判断が全く出来ないので、
とにかく精一杯打つしかないんですね。
精一杯ですから、途中で疲れてきます。
根気がなくなりそうになります。
あ〜。早く終わりたいなぁ。
そんなことを考えてしまうことが、よくあります。
途中で胃が痛くなったりします。
この時も、そうでした。
でも。
何かの拍子に隅の黒が死んでしまいました。
殺すつもりなんか、なかったのです。
でも、気がつくと三目だったので......。
中手打ちますよね。
詰碁キライな私でも分かりました。
ところがこれが、部分的な死だったみたい。
なんだ、ちっとも分かってないじゃん。
そこから少し攻め合いのようになったりもしましたが、
「生きられたらしょうがないな」ってな感じで
わりと、丁寧に打てました。
結局、そこが大きかったみたいです。
中押し勝ち。
わぁい。勝てた〜。
みゆき先生、初戦突破したよ。
いきなり課題達成。
もう、ゴキゲン。
二回戦も握りでした。また、白番。
今度はわりと勝っていたと思います。
生意気ですが、負ける気がしませんでした。
でも「勝ってる碁を勝ちきるのが難しいのだ」
という言葉を、よくききます。
だから、油断しないように自分を戒めながら、打ちました。
アタリに突っ込まないように。
ダメづまりでボロボロにならないように。
切られて死んでしまわないように。
かなり、レベルの低い戒めです。
ま、それが私のレベルですから。
で、中押し勝ち。
お昼をはさんで三回戦。これに勝ったら決勝戦。
S田さんはいないけど、決勝戦行きたいよな〜。
あかん、あかん。
先のことより、まずは目の前の一局よ。
相手は5級の方でしたので、2子置かせていただきました。
今度はなかなか上手くいきません。
ずっと、苦しいな〜苦しいな〜と思いながら打っていました。
でも何となく、「そこ、手抜きしてません?」みたいなとこがあって、
よく分からないけど急所っぽいところに打ってみたりしました。
相手の方も応手を間違われたようなのですが、
それが私は分からない。
詰碁力のなさが露呈。
結局殺せなかったけど、ちょっとは苦しんでいただけました。
この碁は終始そんな感じで、分からないなりに打ってみて、
相手の方がそれを受けてくださるということが多かったです。
で、終局。
なんとか勝ってました。
決勝戦の前に、みゆき先生がまた励ましてくださいました。
とにかく落ち着いて、精一杯頑張ってください。
大丈夫ですよ。勝てます。
でも実のところ、決勝戦は厳しいだろうな〜と言うのが
どうも下馬評だったようです。
級位者のクラスなのに、何故か決勝戦は初段の方。
人数の関係なんですね。
で、この初段の方というのが、初めて参加された方で
他の初段の方々を撃破して決勝戦まで上がってこられた方です。
強い。
頑張って欲しいけど、ちょっとNanokaにはキツイだろうな。
そんな感じだったようです。
そんなことは全く知りませんでしたが、
とりあえず「初段」ってだけで、びびります。
もちろんハンデ戦だけど、攻め合いとかになれば絶対勝てないしさぁ。
ま、でもいいや。ここまで来られたから。
何か賞品はもらえるしね。
がんばろ〜っと。
石を7つ置かせていただいて、決勝戦がはじまりました。
いきなり隅で石を取られてしまいました。
でも、不思議と焦りませんでした。
外が厚くなったから、いいんだも〜ん。
実は、厚みってよく分からないのです。
でも、分からないなりにも「厚み」という
「言葉」を意識して打ちました。
途中で何度も、相手の方が「ツライなぁ......」とぼやくのが聞こえましたが、
どこがツライかよく分かりませんでした。
だって、黒地どんどんちっちゃくなるし。
このまま行ったらなくなるよ......。
でも、後で考えてみると、白地もなかったりするんですね。
打っているときは、自分だけがないように見えるんだけど。
負けてるのかなぁ。負けてるのかなぁ。
そんなことを思いながら終局しました。
結構勝っていました。
おそらくこの日、私はいつになく好調だったのだと思います。
そして、とてもラッキーだったのだと思います。
決勝戦にしても、あの初段の方は
普段は7子も置かせて打つことなど、あまりないのかも知れません。
一方の私は、色々な方と置き碁を打たせていただいています。
だから、ちょっと得だったのだと思います。
それでも。
嬉しかった。
大会の度に悔しかったり、情けなかったりしたけれど、
やっと優勝できて、「ばんざ〜いっ!!」って言いたいくらい。
本当に嬉しかったです。
で。
少し驚いたことがあります。
みゆき先生です。
決勝戦の時、ずっと見ていてくれました。
私が勝った瞬間に「すごい! 本当にすごい!」
そして、おめでとうございます。と言ってくださいました。
それはまぁ、普通です。
それからみゆき先生は、こうも言ってくださったのです。
「私、嬉しい......」
先生は、ちょっとウルウルしてました。
自分の生徒が強くなって、優勝した。
それを自分のことのように喜んでくれている。
そのことがまた、私にはとても嬉しかった。
こんなにも大切に思ってくださる先生の気持ちが
とてもとてもありがたかった。
だから私は、ちょっとだけ考えを改めました。
私はみゆき先生の生徒だけど、
ただの「お教室の生徒さん」じゃダメなんだ。
私は「みゆき門下」なんだ。
だから、もっともっと頑張って、
先生にも、もっともっと喜んでもらいたい。
そんなこと、思いました。
大会の後の懇親会は欠席する予定でしたが、
これは出ないワケにはいかないでしょう。
ということで、急遽出席にしました。
実はこの日。
ネットでいつも教えてもらっている
「白黒さん」という方も参加されました。
四国からわざわざお越しいただきました。
で、白黒さんを新大阪まで送って行かなきゃいけないので、
早くに失礼する予定だったワケです。
なのに、むりやり白黒さんも懇親会にひきずって行きました。
白黒さんは飲めないお酒を飲んで、頭痛かったそうです。
ごめんなさい。
で、みゆき先生も、実は体調があまり良くなかったみたい。
なのに、とってもゴキゲンで飲んでおられました。
はっきり言って、酔っぱらってました。
それで次の日にダウンしちゃったみたいです。
ダメじゃん。
でも、喜んでくれてありがとうございます。
先生が喜んでくれたことが、一番嬉しかったです。
とても幸せな一日でした。
そして、とても励みになりました。
なかなか強くなれなくて、負けてばっかりで、
ツライこともたくさんあるんだけど、
こういうことがあるから、やっぱり囲碁はやめられないんだなぁ。
っていうか、やめる気はないんだけどさ。
強くなればなるほど、苦しいことも多いとききます。
でも、その分。
勝った時、優勝した時の喜びもまた、大きいんだと。
この前体調を崩してから、
なんだかヨワヨワになったような気もします。
でも。
「みゆき門下」なんだから。
先生に喜んでもらいたいから。
もっともっと強くなりたいから。
もっともっと嬉しい思いをしたいから。
だから、これからも頑張ります。
皆様、いつもありがとうございます。
そして、これからもよろしくお願いします。
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笑顔のチカラ
http://piyonpa.exblog.jp/3214719/
2005-12-12T13:49:21+09:00
2005-12-12T13:59:07+09:00
2005-12-12T13:49:21+09:00
piyonpamama
よろず体験談
と言っても、もう1年近くも前の話です。
オープンの日、早速行ってみました。
どこにでもある大手のコンビニですから、
特に目新しいことがあるとも思っていませんでしたが、
ま、店によって若干品揃えも違ったりするので、
とりあえずチェックチェック。
ところがこれが、どうも良くない。
品揃えが私好みではないんですね。
かなり広い店舗なので結構期待していたのですが。
確かに、幅広いジャンルの品揃えにはなっているのですが、
何故だか私がウキウキするようなモノがない。
うーん・・・こんなもんなのかなぁ。
近くて便利だけど、私には合わないかなぁ。
その時点では、このお店に行くことは
おそらくほとんどないだろう。と思っていました。
とは言っても、帰り道にあるわけですから
何かの拍子に立ち寄ってしまいます。
お茶とかジュースとかカロリーメイトくらいは買います。
そしてある時突然。
気づいてしまいました。
その店に行くとなんだか気分がいいのです。
その店から出るときには、不思議とニコニコしているのですね。
最初は一人の店員。
おそらく女子大生のアルバイトだと思います。
ものすごくべっぴんさん。というワケでもないのですが、
とても気持ちがいいのです。
とにかく笑顔が素晴らしい。
笑顔と言っても、どこかのファーストフード屋の
とってつけたような笑顔じゃない。
「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」
心から言ってくれている気がするような、そんな笑顔。
なんだか分からないけど、コンビニに行って
こんなに歓迎されたことあったっけ?と思ってしまう。
気がつくと私も笑っている。
そして、いつも一生懸命。
商品をとても大切に扱っていて、
買ったモノを袋にいれてくれる時も、
ただバサバサっと入れたりしない。
商品がつぶれたり、傷ついたり、偏ったりしないように
考えてくれているのが、とてもよく分かるのです。
たまに上手くいかないことがあって、
「あれ? どうしよう?」と困った顔をするんだけど、
これがまた可愛らしいんですね。
いいよ、いいよ。テキトーで。ありがとね。にっこり。
ふとした拍子に声をかけてしまいました。
「いつも元気だねぇ」
「あ......そうですか?(にっこり)」
「うん。すごく気持ちがいいよ」
一呼吸おいて。
「ありがとうございます!!」
満面の笑みでした。
疲れが吹き飛びました。
まるで、おっさんやな......。
それから気をつけてみていると、
この店の店員はみんなそうなのです。
男の子も女の子も。
私が行く時間帯は大抵若い学生アルバイトばっかりなのですが、
一人一人がみんないい笑顔を持っています。
品揃えは不満だったけど、なんとなく毎日のように
立ち寄るようになっていました。
そんなある日。
この店の店長がレジをしてくれました。
40代後半くらいの男性です。
この人を見た途端に「ああ、なるほどなぁ」と
思ってしまいました。
決してハンサムではない。ダンディでもない。
でも、なんかホッと安心するような、
柔らかで温かい感じのする人でした。
他の店員達と同じように一生懸命。
些細なことかもしれないけれど、
ちゃんと目を見て「いらっしゃいませ」と言ってくれる。
その日はいつもより少し多めにお買物をしたので、
レジにも時間がかかりました。
それを待っている間、私はまた声をかけてしまいました。
大阪のおばちゃんですからね。
「いいスタッフを揃えておられますね」
「え?」
「いえ、いつもみなさんの笑顔に癒されて帰るんです」
「そうですか! ありがとうございます!」
「こちらこそ、いつもありがとう」
「いえいえ。どうぞまた、よろしくお願いします」
深々と頭を下げられました。
ほとんど毎日のように、この店に寄ります。
たくさん買うワケではありません。
でも、ドリンク剤一本でも、立ち寄ってしまいます。
別に、いつもいつも何かを話しているのではありません。
ただ普通に「いらっしゃいませ」と「ありがとうございました」が
繰り返されるだけのことです。
でも、いつも元気をもらって帰ります。
最近では、夜遅くに仕事の帰りに寄ると、たまに
「おつかれさまです」
と、言ってくれたりもします。
それでまた、癒されます。
日によっては店に入らないこともありますが、
そんな時でも、ガラス越しに目が合うと、
あの笑顔をくれます。
仕事のリズムが変わって、本当にしんどい日々が続いていますが
ドリンク剤よりも、カロリーメイトよりも、
あの笑顔は私にとってはとても効果の高い栄養剤です。
]]>
病気のことなど
http://piyonpa.exblog.jp/3172870/
2005-12-04T15:22:39+09:00
2005-12-04T15:22:39+09:00
2005-12-04T15:22:39+09:00
piyonpamama
菜野香あれこれ
無理するとロクなことありません。
確かに忙しい日々ではありました。
本職だけでは食えないという情けない人間なもので、
子供英会話の家庭教師もやっています。というお話はしました。
でも、家庭教師も「食える」というほどの収入があるワケじゃなく、
どちらかと言うと楽しみでやってるようなもんなので、
これじゃイカン!と自らを鼓舞して、
他の仕事もちょこちょこと始めたまでは良かったのです。
生活のリズムが変わってちょっとしんどかったですが、
なかなか充実した毎日を送っていたつもりでした。
ところが。
ちょっと、スケジュールが過密すぎたみたいです。
本職の他に家庭教師。それから他の仕事もいくつか......。
朝から深夜までほとんど毎日。
土曜日も日曜日もほとんど休みありません。
さらに、こんな日々でも囲碁だけは......と思い、
深夜でもネットに入ったりしておりました。
まぁ、時間があれば昼寝もしていたので、
体力的には大丈夫!とタカをくくっていたのですが。
やはり新しい仕事には慣れないもので、
こんなに大雑把で図太い性格の私でも
やはり神経使ってるんですね〜。
どうも、疲れるなぁ。なんか気分がすぐれないなぁ。
そんなことを思い始めた矢先。
子供英会話の派遣会社が倒産してしまいました。
生徒の保護者からじゃんじゃん電話がはいりまして、
それはもう大変。
何と言っても、3年分のレッスン料を前払いした方もおられます。
そのお金、戻ってきません......。ひどい話です。
ただ、私がいただいたお電話はどれもこれも
「一体どうしてくれるねんっ!」と言うような
苦情のお電話ではありませんでした。
会社はつぶれてしまったけど、出来ることならなんとか
今まで通りレッスンを続けてもらえないだろうか。
毎週楽しみにしている子供の気持ちを考えると
このままやめてしまうのはしのびない。
お金のことはもちろん許せないけれど、
それは先生の責任じゃないし、先生だって被害者なんだから。
(私も、給料もらってないんですよ)
それよりも今、子供が先生と会えなくなってしまう哀しみの方が
私達には重要な問題なんです。
とても。
とても、ありがたいことです。
普通、私にあたりたくもなるでしょう。
だって、私も一応その会社の人間としてレッスンに行ってた訳ですから。
なのに、こんな風に言っていただけること、とても嬉しいです。
だから、何とかその気持ちに応えたいと思いました。
でも、その会社の教材やカリキュラムを使うことに問題はないのか。
続けるとしたら、どういう形があるのか。
色々な人に相談して、お友達のご家族の弁護士の方にもきいていただいて、
なんとか、続けていこう。ということになりました。
が、やはり、ある程度オリジナルのレッスンプログラムが必要です。
生徒一人一人、みんなレベルや性格が違うので
それぞれにあったプログラムを組まなくてはなりません。
ってなことで、毎日せっせとプログラムを組みつつ、
保護者の方々と何度もお話をしつつ、
さらに、慣れない新しい仕事もしつつ。
また、そういう時に限って本職の方がトラブったりもして。
まぁ、文字通り目が回りそうな日々でした。
で、ある日。
仕事の途中で倒れてしまいました。
なんか、気分が悪いなぁ。お手洗い行こうかなぁ。
そこからの記憶、ありません。
気がついたら、床に座り込んでいて、
周りがガヤガヤしてて、しかも鼻が痛い。
倒れた時に、ヒザで鼻を強打したみたいですね。
倒れたことよりも、鼻がいがむんじゃないだろうか......
ということの方が心配でした。
その日はそれで帰ってすぐに休みました。
一晩寝たら元気になったので、また同じ様な生活をしていました。
ところがまた、倒れてしまいました。
いつものお医者さんに行ったところ。
「過労による一過性の脳虚血症だなぁ」
「???????」
ノウキョケツ?
何よそれ。
脳がおかしくなったのか?
死ぬの?
「まぁ、貧血です」
なんだ、それならそれと早く言ってよ。
わざわざ難しく言わないでよ。
びっくりしたじゃない。
でもま、ただの貧血ならよかったわ。
ところが全然良くない。
体弱ってるんですよ。弱ってるから抵抗力下がってるんですよ。
そこへ、風邪。
普段ならぬくぬくにして寝たらすぐに治るところが
さっぱり治らない。
それどころか悪化の一途。
肺炎の手前まで行き、点滴の日々。
犬がいるので意地でも入院は出来ません。
なので、毎日通院。
でも、熱もあるし、とにかく体よれよれなんで
通院も一苦労ですわね。
ってなこって、随分長い間、寝込んでしまいました。
でも、ずっと寝ているのって、とっても退屈です。
しんどいので何も出来ないのですが、
それでもやっぱり退屈なので、少し動けるようになると
ついつい犬を洗ったり、買い物に行ったり、
ネットに入ったりしてしまう。
そしてまた、ぶり返す。の、繰り返し。
仕事は休まないといけないのでどんどんビンボーになるし。
囲碁だってまともに打てないからどんどん下手になるし。
いいこと無しです。
ホント、無理はいけません。
ようやく快復してきて、ちょっとは動けるようになってきました。
仕事も随分休んだので、そろそろ復帰しようと思います。
仕事のペースは大して変わりませんが、ま、早めに養生しないとね。
で、鼻ですが。
なんとかいがまずにまっすぐついてます。
よかったよかった。一安心です。]]>
子供万歳! 英語万歳!
http://piyonpa.exblog.jp/2954874/
2005-10-26T04:23:30+09:00
2005-10-26T04:21:55+09:00
2005-10-26T04:20:37+09:00
piyonpamama
よろず体験談
コピーライターですが、子供英会話の家庭教師もしています。
いわゆる「ホーム・チューター」ってやつです。
ビンボーだから、サイドビジネスもやらないとね。
英会話と言っても、そんな大層なことはしていません。
相手は2歳からせいぜい小学生ですから、
めちゃくちゃ複雑なことをやるワケではありません。
2歳の生徒さんなど、日本語もほとんど分かってないので
英語もくそも関係ありませんね。
「Hello」「How are you?」に始まり、
動物や食べ物や乗物の名前、それからアルファベットを
少しずつ覚えていきます。
歌ったり、踊ったり、絵の描いたカードを使ってゲームをしたり。
ほとんど遊んでるようなもんです。
が、かなり体力は使います。
これが結構面白い。
色々な子供がいます。
最初からノリノリの子。
これは大抵女の子です。
歌ったり踊ったりが大好きです。
ワケわからんなりに、真似をしてくれます。
ちょっと慣れてくると、日本語も英語もごちゃごちゃになって
ひたすら喋りまくります。
子供がいくら日本語を使っても、講師は全て英語で対応するのですが、
たまに「ほんまやね〜」とか言ってしまったりすると、
「先生、ノー・ジャパニーズやん!! ちっちっちっ」と叱られます。
男の子は、どちらかと言うとシャイな子が多いです。
一緒に踊ろうとしても、恥ずかしがってモジモジしています。
無理矢理踊らせるワケにもいかないので、
いきおい私一人で踊ることになります。
こっちの方がよっぽど恥ずかしいよ。
モジモジしているくせに
「はい、今日のレッスンはこれでおしまい。Good bye!」
と言った途端に泣き出したりします。
「もっど えいご やりだいどにぃ〜〜〜〜」
鼻つまらせて叫びます。
やりたいなら、ちゃんと先生の真似して喋らないと!!
と、おかあさんに言われて
「ぢゃんと ずる がらぁ〜〜〜」
相変わらず、鼻つまってます。
お散歩に連れて行くから、犬買って。
というのと、ほとんど同じ。
可愛いです。
兄弟同時レッスンもあります。
この場合、どうしても下の子がおくれがちになるので
ちょっと気を使います。
ゲームをしても、ほとんど上の子が勝ってしまいます。
なので、下の子に少しハンデをつけてあげるのですが、
良い勝負になったらなったで、ものすごく熱くなります。
そのうち、兄弟喧嘩が始まります。もう、大騒ぎ。
こうなるとヤケクソで、私もマジでゲームに参加します。
「キミ達まとめてやっつけてやる」ってなもんです。
そうすると、突然、兄弟でタッグを組みます。
私が負けると大喜びです。
良かった良かった。
と、思いつつ、ちょっと悔しい。
ま、色んなパターンはありますが、
基本的には無邪気に楽しめるので、精神的にもとても和みます。
ただ......。
困ることもたまにあります。
全く喋らない。何の反応も示さない。
色々なことを試してみても、効果がない。
とにかく45分のレッスン中、
私一人がひたすら歌い、踊り、喋っている。
それだけで終わってしまうのです。
ゲームをするとほんの少しカードに触ったりする程度。
これには参ります。
私のレッスンがよほど面白くないのだろうか。
ダメなのかなぁ......。どうしたらいいんだろう......。
悩みながら、ひと月が過ぎ、ふた月が過ぎ・・・
講師を代えてもらった方がいいかも知れないな......。
平日の夕方のレッスンなので、普段はおかあさんしかおられません。
が、その日は珍しくおとうさんもおられました。
いつものようにほとんど無反応のレッスンを終えて、
意気消沈しながらも明るく帰ろうとした時。
おかあさんがおっしゃいました。
先生、実はね。
この前あの子、食事中にね。
「おかあさん、今日のごはんvery goodよ! Wonderful!!」
って、言うんですよ。
先生がいつも、あの子のちょっとしたことでも
たくさんたくさん褒めてくださるでしょ。
覚えてるんですね〜、ちゃんと。
すると、おとうさんも。
いや、私も先日びっくりしたんですよ。
毎朝、起こしに来てくれるんですがね。
「Good morning,Dad」
って言って、起こされてねぇ。
感激しましたよ!
いいえ。
感激したのは、私の方です。
そんなこと、夢にも思わなかった。
そうか。そうだったんだ。
ちゃんと、伝わってたんだ。
私が言ったこと、聞いてくれてたんだ。
ありがとね。
不覚にも涙がこぼれるところでした。
それから、色々なお話を伺いました。
毎週、私が行くのをとても楽しみにしてくれていること。
私が帰った後も、ずっと単語のカードを見つめていること。
私がやったゲームをこっそりやってみていること。
「どうして先生には喋ってくれなかったの?」
思い切って訊いてみました。
だって、間違えたら先生に嫌われて、
先生が来てくれなくなったらイヤだから......。
何も言うことができませんでした。
ただただ、抱きしめるだけ。
良かったなぁ。続けてて。
その子は今、めきめき上達しています。
毎週毎週、発音がどんどん正確になっていきます。
私が間違えると指摘してくれます。
一緒に、新しいゲームを考えたりすることもあります。
そして、近頃では。
2歳に満たない妹に、毎日英語を教えているそうです。
月並みだけど。
子供の可能性って本当にワクワクさせられます。
毎日が、とても刺激的です。]]>
新しい目標
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2005-10-23T13:22:01+09:00
2005-10-23T13:19:55+09:00
2005-10-23T13:19:55+09:00
piyonpamama
囲碁サイコー
ケーブルウエストの大会です。
「おおっ! いよいよテレビデビューですか!!」
と、みゆき先生に言われましたが、
もちろんそうではありません。
代表選抜クラス、有段者のAクラス、1-4級のBクラス、5級以下のCクラス。
この4つのクラスがあり、オール互い戦です。
代表選抜クラスで優勝すると地区代表として全国大会にすすめるようです。
全国大会の決勝戦あたりは、テレビでもオンエアされるのかもしれません。
詳しいことは知りません。
もちろん私はCクラス。
かなりざっくりしたクラス分けだし、結構キツイなぁ〜とは思いましたが、
経験、経験。そう思って参加しました。
自分を見失うという前回の苦い経験があったので、
心のコントロールが今回の課題だと思っていたのですが......。
どうしてだろう?
当日の朝になっても、緊張感のかけらもありませんでした。
会場がいつも古友会がある碁会所だったからかもしれません。
碁会に参加するような気楽な気分になれたのでしょうか。
周りの皆さんが言ってくださるように「慣れてきた」のかもしれません。
大会前に、みゆき先生に指導碁を打っていただきに行ったとき、
たまたま「初めて来ました」という高校生の男の子がいて、
成り行きでその彼と打つことになったのですが、
その時もみゆき先生に言われました。
「余裕を持って打てるようになりましたね。
以前は知らない人と打つだけでガタガタ震えていたのに」
そう言えばそうかもしれないなぁ。
この前の、ペア碁の大会に出られたことも大きかったかもしれません。
苦手な戦いも、やってみるとちょっと面白かったし、
チャレンジするのもいいもんだなぁと思ったり。
よくは分かりませんが、とりあえずリラックスして打てました。
リラックスはしていましたが、いきなり負けました。
がっくり......。
それも、時間切れ判定。
私達のクラスは、対局時計を使いません。
そのかわり、1時間だったか1時間10分だったかを過ぎた時点で
審判の判定になります。
自分ではまだこれから! と思っていたけど、
黒番の私がコミ分だけ悪かったようです。
う〜ん。残念。
で。
敗者戦もいっぱい負けました。
だからと言って、自失していたワケでもなく、
落ち込んだり腐ったりすることもありませんでした。
いっぱい負けちゃったけど、
どの碁も思い切って戦ってみることが出来たし、
打ちすぎてつぶれたりもしたけど、
そのかわり、大好きな大技も決まったりしたし。
私が今の私のレベルで、私なりにとても良い碁が打てたと思います。
大会で負けるのは悔しい。
普段の対局だってホントは負けたくありません。
でも、大会であっても、負けたとしても、
自分なりに「納得」出来ることもあるんだなぁ。
先にもお話したように、今回は自失することなく、
自分の打ちたい碁を自分らしく打つことを課題にしたのが
良かったのかも知れません。
もちろん、「勝つ」ことが一番大きな目標だけど、
そこに行くまでにクリアしなけりゃいけないことがあったんだなぁ。
これが、今回の収穫です。
試合で5局。あと、一番最初の対局者と遊びで1局。
全部で6局も打ちました。
打てるものなんですねぇ。
時間さえ許せば、まだ1局や2局は打てそうでした。
お教室でよく顔を合わせる関西棋院のスタッフの方に
「すごく強くなってますね!!」と褒めていただきました。
入門の時から見ていてくださってますから。
でも。
「打ちすぎもあったけどね」とも言われちゃいました。
取りに行かなくてもいい石を、取りにいってたね。と。
やっぱりね......。
最近、打ちすぎでつぶれること多いです。
ちゃんと読んで、ちゃんと守りましょう。
でも読めないから、やっぱりやってみるしかないか。
かろうじて2勝したので「2勝賞」をいただきましたが......。
なんかヘンテコなシールセットです。
「捨小就大」とか「彼強自保」など
囲碁十訣?みたいな言葉が書いてある千社札シールです。
プロ棋士の名前とイラストが入ったのもあります。
珍しいけど......あんまり嬉しくありませんでした。
でも「攻彼顧我」ってのは、ちょっと心にとめておこ。
大会は本当に有意義です。
楽しいことだけじゃなくて、ツライこともあるけれど、
必ず何かを得ることができます。
いつも、なにかしら「気づき」があります。
技術だけじゃなく、いやそれよりも、「気持ちのあり方」を学べます。
そして何かを得るたびに、次の課題が見つかります。
とりあえず、初戦突破。
これが次の目標ですか。
だから、もっともっと強くなりたいです。
ムリしなくても、ちゃんと勝てるように。
]]>
ファッションのことなど
http://piyonpa.exblog.jp/2903123/
2005-10-17T13:12:00+09:00
2005-10-17T13:12:58+09:00
2005-10-17T12:08:49+09:00
piyonpamama
菜野香あれこれ
太ったワケではありません。
ありがたいことに随分痩せたようです。
囲碁を始めてから痩せたかも......というお話は既にしましたが、
自分でも驚くほどです。
一番太っていた時期は怖くてきちんと量っていませんが、
体重はおそらく7-8kg減ったのではないかと思います。
ジーンズは2サイズダウンしました。
特にこの半年の痩せ方がめざましい。
獣医へ行っても、市場へ行っても、囲碁のお教室へ行っても、
行くところ行くところで「痩せたねぇ......」と言われます。
もしかして、ビンボーしてるからだろうか......とも思いましたが。
大丈夫!
太ってた頃もビンボーだビンボーだって言ってましたから。
ビンボーとは関係ないと思いますよ!!
と、美容室のスタッフにとても明るく言われました。
どうもありがとう.....。
碁を打ち始めてから、しょぼい頭を駆使するようになり、
消費カロリーが上がったことも一因かもしれませんし、
以前なら夜っぴてお菓子を食べながら読書していたのが、
ネットで打つようになってから、ほとんどなくなったことも
大きいのかもしれません。
それに、ネット対局場で毎晩毎晩楽しく笑っているのも良いかも。
そして、何よりも。
この半年で、仕事のリズムが変わりました。
本職、サイドビジネス、アルバイトなど
活動時間と範囲が大幅にアップしたワケです。
収入はさっぱり増えないのが疑問ではありますが。
花☆ちゃん曰く。
「基礎代謝が飛躍的に上がってるんだな」
とても、専門的な表現。ちょっと、かっこいい。
痩せたと言っても、不健康なほどガリガリというにはほど遠い。
まだまだ太い方かもしれません。
それに、若い頃のようにキュッとしまっている。
ってなワケにもいきません。
なんとなく全体的に......緩んではいます。
別にいいじゃん。歳だし。
っていうか、去年までどれだけ太ってたんじゃ?
と思うと、かなり怖いものがあります。
今年、運転免許証の更新をしましたが、
以前の写真をみるとぞっとします。笑えません。
痩せたのはとても嬉しいのですが、
着られるお洋服がなくなってしまったのが少し大変。
それでも、しばらくはぶかぶかのジーンズをはいていました。
ところが、あんまりぶかぶかだとビンボーくさいんですね。
それでなくてもビンボーなのに、これ以上ビンボーくささが
染みつくのはいやです。
そうこうしているうちに、まるでローライズのジーンズのように
腰までずるようになってしまい、さすがに新しいのを買いました。
最初は1サイズ落としましたが、1ヶ月も経たないうちに
もう1サイズ落としました。
お金も結構かかります。ビンボーなのに......。
でも。
太っていた頃は着られなかったような、
今時のお洋服が着られるようになったのはラッキー。
ちょっとピタピタのタンクトップや、丈の短めのシャツ。
さすがにヘソは出しませんが、背中がちょっと出るくらいいいじゃん。
本来私が大好きなミニスカートも着るのが楽しくなりました。
歳のことはおいといて。
太ってると、ヒールの高い靴も抵抗感があったのですが
最近また履くようになりました。
今まで地味ぃ〜に押さえてたけれど、
お洋服を買うお店も全く変わりました。
店員の若い女の子達と話ながら、色んなファッションを
試してみたりします。と言っても、そんなに奇抜ではないですが。
この夏は結構ハデな色のお洋服も着てみました。
秋冬に向けて、早々にピンクのロングブーツも買いました。
何よりも、15年前に着ていたスーツがすんなりと
着られるようになったことが一番嬉しかったかな。
こんなにも、お洋服を買うのが楽しいと思うのは
本当に久しぶりのことです。
お金があったら、きっともっと楽しいんだろうけど。
できれば、年相応の大人っぽいかっこいいお洋服を揃えたいのですが、
カジュアルでくだけたファッションに偏ってるのが難点ではあります。
だって、若い子のカジュアル服って安いんだもん。
大人服で安いのはビンボーくさいんだもん。
ビンボーだけど、くさいのやだもん。
ま、好きなお洋服が着られるからって、
キレイになったわけでも、恋が芽生えたワケでもないのですが、
精神衛生上はとてもよろしい。
ハタからみたら「年甲斐もなく」と思うかもしれませんが、
いいのいいの。本人がハッピーだから。
周りの人々、ごめんね。
この舞上がりがおさまるまで、ちょっと待ってね。
全てが囲碁のお陰とは言いませんが、
囲碁を始めた頃から周りの環境が変わってきたのは事実。
とすれば、今こうやって楽しく買い物ができるのも、
やっぱり囲碁の御利益かもしれません。
ああ、囲碁って本当に素晴らしい!]]>
責任÷2? 楽しさ×2!
http://piyonpa.exblog.jp/2824441/
2005-10-05T21:58:00+09:00
2005-10-05T22:03:32+09:00
2005-10-04T06:59:51+09:00
piyonpamama
囲碁サイコー
相方はK氏。
ネットでお知り合いになり、
まだ19路もまともに打てない頃から
よく教えていただいた方です。
ネットでお話する限りとても個性的な方で、
私はよく「ヘンテコな人」と呼ばせていただくのですが、
ただ、碁に関してはいつも丁寧に打ってくださる印象があって、
私はK氏に打っていただくのがとても好きでした。
安心して打てるのですね。
考えてみれば、深夜或いは早朝までネット対局場で
ウロウロしている私だってかなり「ヘンテコな人」です。
人のこたぁ、言えません。
そのK氏から「ペア碁の大会に参加しましょう」とお誘いいただいた時は
正直言って、とても戸惑いました。
興味がなかったワケではありません。
いずれはチャレンジしてみたいとは思っていました。
とは言え、私はまだまだ棋力が低いです。経験も浅い。
誰かと一緒にひとつの碁を創造するなんてこと、
とてもとても出来ません。
それに、大会とあらば、誰だって強い人と組みたい。
と考えるのは当たり前だと思っていましたし。
なので、誘っていただいたことは嬉しいけど、
どうして私ごときとペアを組もうと思ってくださったのか
さっぱり分からない。
何しろK氏は高段者です。
組む相手などいくらでもおられるでしょうに。
で、一言目。
「それは一体、どのような趣向ですか?」
どうも、素直じゃありません。
別に、無差別級に出るつもりじゃないし、
ハンデ戦だから棋力にはこだわらないし、
楽しめたらいいんです。
それが、K氏の答えでした。
大会の日はちょうど予定が入っていたこともあり、
それをキャンセルできるかどうかにもよるので、
お返事は一日待っていただくことにしました。
そして、私はみゆき先生に相談しました。
戸惑っているその気持ちを正直に話してみました。
すごい! そんな強い人に誘ってもらえるなんてスゴイことです。
自分が弱いからとか、迷惑をかけるとか、読めないとか、
そんなことは全く考えなくてもいいんです。
強い人同士だって、どうせ読めないんです。
相手の考えてることなんか分かりません。
それに、下手のことは上手がちゃんと考えてくれます。
貴女の棋力を分かった上で誘ってくれているのだから、
それでいいんです。楽しめばいいんです。
何よりも。勉強になりますよっ!
高段者の手を、間近で実感できるのですからね。
みゆき先生はこう言って、背中を押してくださいました。
大会前に2回ほど練習しただけで、
よく分からないままいきなり大会当日。
どうせ高段者の考えることなんて分かんないし。
好きなように打とうっと。
ほとんど、緊張感のないまま会場へ出向きました。
ペア碁というのは混合ダブルスのようなもんです。
下手の女性、上手の男性の順に打ち、
もちろん相談してはいけません。
話しても良いのは、手番の確認と投了の相談のみ。
手番を間違えた場合は3目のペナルティがあります。
K氏は出来るだけわかりやすく打ってくださいました。
と、思います。
ただ、私がほとんど分かっていないので、
期待を裏切ることが何度もあったみたいです。
「どうせ分かんないし」とは思うものの、
どうしても相方の打った手の意味を考えようとしてしまいます。
でも、やっぱり分からない。そして、混乱。
まるで「次の一手クイズ」の連続のようでありました。
この一日で、何百問ものクイズに答えたことになります。
正誤はともかくとして。
私が期待を裏切るたびに、K氏は「うーん......」
そして、方針変更。戦略の立て直し。
そんなことの連続だったのではないでしょうか。
でも一度だけ、私の打った手がどうやらK氏の思惑通りだったようで、
ちらっと横を見たときに、K氏はニタ〜っとしておられました。
「よしよし」ってなもんでしょうか。
ま、結果的には、私が理解しきれていなかったので、
きっちり間違えてしまいましたけど。
どうせ読めないので、分からなくなったら放置。
そして自分の好きなところに打ちました。
あとは何とかしてくれるだろう。と無責任に。
でも、K氏がなんとかしようと思っても、
その後にまた私の手番なんですね。
好きなところへ打ったツケは、きっちり自分に返ってくると、
ま、そういうシステムになっております。
ただ、普段の自分なら、怖くて決して打てないようなところに、
思い切って打ってみることが出来ました。
案外、大丈夫なんだな〜。とか、やっぱりムリなんだな〜。とか、
その手の「なれの果て」も、ある程度見ることが出来ました。
或いは、自分の打った手が、自分が思っている以上に生かされていたり、
この局面でそこに打つのか!などという驚きがあったり、
とにかく刺激的で面白い。
私が打った途端に、K氏はもちろんのこと、対局相手のお二人も、
即ち、私以外の三人が一斉に小さく首を振ったり、
指を動かせたりすることが何度かありました。
読んでおられるのですね。
打った本人は全く読まずにテキトーに打っているのに、
他の人達がそれを受けて真剣に考えている・・・というのは
なかなか不思議なものでありました。
局後の検討で相手の男性に、「この手がきびしかった」と言われ、
「ふぅん......そうなんだぁ」と応えたところ、
「え? 読んでたワケじゃないの?」
とんでもありません。読めるワケありません。
何となく、あっちよりこっちがいいような気がしただけです。
申し訳ございません。
それどころか、検討の内容も、あんまりよく分かりません。
「これがこうなって、こっちがこうくると、手数がこうなって......」
「?????」
ま、いいです。
いずれ分かる日もくるでしょう。
というワケで、戦績は1勝3敗でしたが、
全てを書き尽くすことは到底ムリなくらい
大会はとても楽しいものでした。
そして、とても勉強になりました。
高段者同士の対局をみたことはありますし、
検討を聞いていたことも、もちろんあります。
でも、今回は何と言っても「半分」は自分の碁です。
シズル感というか、臨場感というか、実感が全く違います。
こんなにワクワクできる大会があるなんて、
思ってもみませんでした。
大会が終わってから、みんなで飲みに行きました。
実は、みゆき先生も上のクラスで出場されていて、
決勝戦で惜しくも敗れてしまわれたけど、
それでも準優勝。立派です。
で、飲み会はK氏はもちろん、みゆき先生も、
古友会でいつもお世話になっているメンバーの方々も
たくさんおられました。
古友会の方達は、参加されていた方もおられますし、
応援の方もおられます。
応援と言っても私の応援じゃありません。
みゆき先生ペアの応援だったり、参加しておられる方の
応援だったりです。
そもそも私が参加することなど、みゆき先生以外は
どなたもご存知ありません。
なので、会場で私を見た途端に、
「なんで○○がおるねん!?」
「しかも打ってるし!」
「それも、K氏とペア組んでるし!!」
「え〜〜〜〜〜っ! K氏とぉ〜〜〜〜!!??」
というような、感嘆詞の連続だったようでして。
K氏って有名なんですね。
知らない方、と言っても、私が知らないだけですが、
トップアマの方からも
「あの......K氏とはどのようなご関係で?」
と、尋ねられましたし。
その飲み会の席で、私はK氏の真意を初めて知りました。
「なのかのかけら」を読んでいると、
大会の度にビビッたり落ち込んだりしながら、
それでもいつも何かを感じ取ったり、
何かを得ているらしい様子がよく分かる。
おそらく自分では、ペア碁に出ようなどとは思いもよらないだろうから、
ここはひとつ、引きずり出してやろう。
そう思って、声をかけてくださったんだそうです。
とても。
ありがたいことです。
お陰様で、私は本当に楽しくて、
とても有意義な経験をすることが出来ました。
K氏はきっと大変だったと思いますが......。
でも、そのK氏も実は結構楽しんでおられたようでもありました。
「悶絶するほど楽しかった」と言っておられたのが
なんとも、微妙な表現ではありましたが。
K氏が言っておられたように、私は大会のたびに、
いつも様々なことを想い、様々な経験をすることができます。
今回もまた、そうでした。
大会自体を楽しめたこともそうですが、
また、たくさんの方々の温かさに触れることが出来ました。
大会前に、私達の練習におつき合いいただいたK氏のお友達の方々、
いつもネットでお世話になっているおやすみさんや古友会の猫姫さん。
それから、戸惑う私の背中を押してくださったみゆき先生。
いつもいつも応援してくださるたくさんのお友達。
そして、誰よりも、私にこんな素晴らしい機会を与えてくださったK氏。
皆様、本当にありがとう。
またひとつ、囲碁の楽しさを知ることができました。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。
次は、10月22日。
大会はまだまだ続きます。
]]>
初めての個人戦
http://piyonpa.exblog.jp/2634845/
2005-09-04T13:48:06+09:00
2005-09-04T13:52:31+09:00
2005-09-04T13:45:38+09:00
piyonpamama
囲碁サイコー
楽しめたかと問われれば、決して「はい」とは応えられないけれど、
また新しい経験をたくさん出来た、有意義な一日ではありました。
前日は、思いのほかよく眠れました。
横になって詰碁の本を開いた途端に寝てしまったようです。
結局、一問も解いていません。
以前から気づいてはいましたが、素晴らしい睡眠薬です。
当日の朝。食事がのどを通りませんでした。レタス2枚だけ。
血糖値が下がると良くないので、チョコレートひとかけら。
前回2回の団体戦の時とは比べものにならないほどの緊張感でした。
そして、その精神状態のまま、対局が始まりました。
午前中は、全くダメでした。
自分が一体、何をしているのか分からないのです。
初戦。相手は9級登録の方です。
普通にちゃんと打てば、勝負が出来る相手のはずなんだと思います。
それが。
序盤で死にまくりました。
普段、上手の方と打ってもここまで死なないぞ。
というくらい、死にました。
完全に自分を見失っている状態だったようです。
投了したかったです。
でも、まだ序盤だし。ガマンして打ちました。
部分的な死にだったので、とりあえずそのまま放置して
別の場所でごちゃごちゃやっているうちに、
死んだ石が一度生還しましたが、
また、アタリに突っ込んで死んでしまいました。
「ありません」
悔しくも、悲しくもありませんでした。
ただただ、打つのがイヤでした。
そして、午前の2局目。敗者戦です。
5級登録の方でした。今度はハンデ戦です。
でも、7級登録の私が、9級の方に互いで負けたのです。
私はこのクラスで出るべきじゃなかった......。
そんなことを思っているので、2子置かせてもらおうが
おそらく、5-6子置かせてもらったとしても
勝てるとは思えませんでした。
一応、最後までうち切りましたが、
何十目も負けていました。
昼休み。
何も食べる気にならず、私は会場を出て、
ただただ辺りをふらふら歩きました。
なんと不甲斐ない。
上手くなったとか、上のクラスでも十分戦えるとか
そんなことを周りに言っていただいて、
自分で勘違いしてただけなんだな。
こんなとこ、来るんじゃなかった。
歩いているうちに、暑くなってきたので、
フラっと入ったコンビニで、みゆき先生に会いました。
「先生。全然、だめだ......」
実は2局目。先生は後ろで見ていてくださったようです。
いつも通りに打てば、全然負ける相手じゃないのに
どうしてそんなに慌てて打っているんだろう。
先生はそう思いながら見ていてくださったのですね。
でも、私自身は、とてもゆっくり打っているつもりだったのです。
そんなことも分からないくらい、自失していたのでしょう。
「碁以前の問題でしたね......」
午後は、全く打ちたくありませんでした。
「もう、どうでもいいや......」
「せっかく打つんだから、頑張りましょう」
「・・・・・・」
そして、午後の対局。もちろん、敗者戦。
対局相手は7級。互い戦です。
一戦目で負けたのが尾を引いていて、
勝とうが負けようが、何があるわけでもないし......。
ほとんど投げやり状態。
ところが。
布石の途中で、目が覚めました。
相手が自由に布陣をを引くのをみて、初めて悔しくなりました。
このままじゃ、帰れない。
どうせ負けるなら、戦って負けんかい!
少しだけ、落ち着いたんでしょうか。
なんとなく、いつものペースが出てきました。
ちゃんと守ろう。ヤキモチは妬かないようにしよう。
じっくり行こう。きっとチャンスはあるから。
そして、私はとても不思議な体験をしました。
私の苦手な攻め合い。
いつもは「黒、白、黒、白」とひとつづつ読んでいきます。
どんなに読めても4手が精一杯です。
5手目をイメージした途端に、それまでの4手が消えてしまいます。
ところが。
一瞬ではありますが、盤面に攻め合いの形が見えたような気がしました。
一手一手じゃない。
一度にパッとビジュアライズされたのです。ほんの一瞬だけ。
こんな経験は今までしたことがありません。
自分でワケが分からずに、びっくりしてしまいました。
その形が、正しい答えかどうか分からない。
でも、私はそれをちょっと信じてみたくなりました。
だから、その通りに打ってみました。
そして、本当に、その通りになりました。
中押し勝ち。
だからと言って、俄然やる気になった......というワケでもありません。
やはり、一局目の負けが堪えたままです。
でも、それよりも。
あの、不思議なビジュアルは何だったんだろう......。
その方が気になりました。
そして「やっとひとつ勝ったんだな」と思ったら、
急に胃が痛くなりました。
もう、これでいいや。
帰ろうかな。
でも、帰る決心もつかず、なんとなく残りました。
4局目の相手は6級。定先。
「さっきみたいにビジュアル出てこないかな〜」
出ませんね。そう簡単には。
でも、随分落ち着いて打てたと思います。
形勢はよく分かりませんが、あまり良くなかったと思います。
相手の模様をいかに消せるか......。
どこかで、勝負しないとなぁ。
このまま囲い合ったら負けそうだよなぁ。
そして、また。
見えました。
私なりの勝負手の行方が。
怖いけど、自分を信じて打ちました。
そこからどんどん良くなりました。
殺しまくりました。
中押し勝ち。
精神状態の影響が大きい競技だということは知っていました。
でも、こんなにも違うのか。
初めて、体中で実感しました。
実は、大会前にみゆき先生に言われていたことがあります。
「貴女は棋力のわりには実戦経験が少ないです」
大会のような勝負の場では、場数が大きく影響するらしいです。
場慣れしてるほうが、実力を出せる。当然かも知れません。
先生によれば、私は成長が平均よりも少し早いので、
その分、実戦数がついて行けてないのだそうです。
だから、大会ではそれが不利になる可能性はある。
「キツイとは思います。でも、何事も経験ですから」
本当にそうだったんだと思います。
キツかった。イヤだった。
でも、あのみっともないくらいの不甲斐ない姿を経験出来たことは、
きっと良かったのだと思います。
だから、この秋は、出来る限り色んな大会に出てみようと思います。
あんなことにならないように。
緊張に押しつぶされて自分を失わないように。
きつくても、高いところに目標を置いて、チャレンジしてみよう。
そう、決めました。
結果を数字だけで見れば、五分ということになります。
でも、私にとっては辛い大会でした。
ただ、あのビジュアルだけが、不思議で嬉しい経験です。
あれは一体何だったんだろう。
きっと、集中力もテンションも高くなって、
アドレナリンだか、ドーパミンだか、
ワケの分からないモノがいっぱい出て、
それで、起こった奇跡みたいなもんだろうなぁ。
それとも。
あれが「見える」ってことなんだろうか。
もしもそうだとしたら......。
いつもいつも見えるワケじゃない。
明日打っても、きっと見えない。
でも、少しずつでも、その回数が増えるといいなぁ。
そして、少しずつでも、その手数が増えるといいなぁ。
そして、落ち着いて打ちさえすれば、ちゃんと碁になるんだな。
ということも、分かりました。
辛かったけど、大切なステップだったのだと思います。
これからもきっと、辛いことがたくさんあるだろうけど、
明るい未来を信じて、頑張ってみます。
みゆき先生は、一般参加の一番上のAクラスに参加されていました。
そして。
優勝されました。
決勝戦の中盤、ちょっと見に行きましたが、
形勢判断の出来ない私がみても、なんだか悪そうでした。
最後は時間いっぱいの厳しいヨセでした。
石を打っては、対局時計を押し。打っては押し......。
コンマ何秒の世界。
すごいなぁ。どうなってるんだろう。どきどき。
整地して。盤面5目。
白番みゆき先生、一目半勝ち。
先生。おめでとうございます。
とてもとても、カッコ良かったです。
そして、先生の方がよっぽど大変な戦いをしているのに、
不甲斐ない私を励ましてくれて、ありがとう。
お陰で4局打てました。
そして、貴重な体験が出来ました。
「関西女流アマ名人戦」という大会でした。
先生は来年から、8人の名人リーグ入りです。
今回よりも、もっともっと厳しい戦いになるのでしょう。
でも、頑張って欲しいです。
そして私も、来年はもうひとつ。
クラスを上げて参加したいです。
先生も、またやる気が湧いてきたみたいです。
「詰碁します!! この10年ほど、やってませんでしたけど......」
先生・・・・・お教室の時、みんなに詰碁勧めてたんじゃなかったっけ......。
私は......詰碁はちょっと・・・。
でも。
詰碁をやれば、あの不思議なビジュアルが見えるようになるのかなぁ。
佐為はムリだけど、加賀くらいは降臨してくれるのだろうか。
一晩考えましたが、答えは出ていません。
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