みゆき先生から扇子をいただきました。
お誕生日のプレゼントです。
淡い赤紫に桜の小柄を散らした、とても品のある扇子で、
扇子袋も桜色のグラデーションで愛らしい。
京都の老舗の扇子屋さんで見つけてくださった高級品です。
囲碁を打つ者にとって、扇子がどのような意味を持つのか、
私にはまだわかりません。
格好だけかも知れません。
ただ、「ヒカルの碁」では夢の中でヒカルが佐為から
扇子を受け取るシーンがありました。
意味はわからないけど、何故だか泣けました。
囲碁に対する情熱だとか、勝負に挑む覚悟だとか、
そういう全てをふくむ「魂」そのものを
受け継いだような気がして、感動したものです。
そういうこともあって、扇子を持って碁を打つことに
ちょっとした憧れがありました。
実は、そろそろ扇子が欲しいなぁ。と思っておりました。
さっさと買えばよかったのですが、
なんとなく躊躇。
というのも、こんな下手くそが扇子なんか持っても
サマにならないかなぁ。返ってカッコ悪いかなぁ。
などと、余計なことを考えてしまいまして。
なので、先生から扇子をいただいた瞬間は
言葉では表現できないくらい嬉しかった。
古友会でいただいて、周りに人がたくさんいたので
さすがに泣いたりはしませんでしたが
本当は涙が出るくらい嬉しかったのです。
おそらく先生は、私がこんなにも喜んでいる。
ということを、ご存知ないと思います。
10年ほど前にも扇子をいただいたことがあります。
当時努めていた会社の後輩の女性からです。
それもとてもセンスの良いものでしたし、
嬉しかったものです。
使い込んで使い込んで、随分ボロボロになりました。
でも今回の扇子は、やはり意味が違います。
敬愛するみゆき先生からいただいた。
ということに、とても大きな意味があります。
「また大会に出られるときに、持っていてください」
そう言って、小さな包みをくださいました。
もちろん私はヒカルほどの器ではありませんが、
「貴女もそろそろ扇子を持っても良い頃でしょう。
益々がんばりなさい」
そう言っていただいたようで、そして、
「やっと、少しは碁らしくなってきましたね」
と、ほんのちょっと認めていただいたようで、
それがとてもとても、嬉しかった。
もしかしたら、勘違いかもしれないけど。
でも、私がそう思うのだから、それで良いのです。
何よりも。
みゆき先生が、私のために選んでくださった。
その気持ちが嬉しいのですから。
みゆき先生。
本当に本当にありがとうございます。
先生には到底追いつけないけど、
先生の囲碁に対する思いと、先生の棋力を
ちょっぴり分けていただいたみたいで
嬉しかったです。大切にします。
そして、頑張ります。
去年の春に出雲にお参りに行ったことがあります。
出雲大社と須佐神社で御玉串をいただいてきました。
ウチには神棚はありませんが、
テレビの上の棚に小さなお盆を置いて
そこに祀ってあります。
この二つの御玉串は私のお守りのようなものです。
そして、先生からいただいた扇子は今、
その二つの御玉串の傍らで、大会での出番を待ってくれています。